1首都圏の虎 ★2019/12/27(金) 14:18:49.54ID:PQOpe//L9 抜け殻のようにやせ、無造作に髪が伸び、青白い顔はまるでろう人形だった。
2005年5月、福岡地裁法廷。通訳のイヤホンを耳に差して死刑判決を聞く魏巍死刑囚は、読み上げられる犯罪事実とかけ離れ、弱々しく見えた。もともと犯罪組織のメンバーだったわけではない。大学進学という希望を胸に来日した、普通の若者だった。
中国河南省出身。福岡市に来て01年4月から通った日本語学校時代の成績は優秀で、専門学校に移っても1年目は無遅刻無欠席だったという。暗転するのは当時、中国人留学生らのたまり場だったネットカフェに通い始めてから。後に事件の共犯として中国当局に拘束され、有罪判決を受ける留学生2人と出会う。
事件発生から半年ほどたった03年12月、共犯2人の故郷である中国吉林省長春市を訪ねた。うち1人の実家は、階段に電灯もない古びた団地の3階にあった。
「なぜそんな事件が起きたのか、分からない」。玄関先が茶の間となっている狭い一室で、取材に応じた電気工の父親は遺族に謝罪しつつ、言葉を振り絞った。「日本に留学したい」という息子の夢をかなえようと、親族から借金したという。「一時帰国のたびに、息子は手土産を持ち帰ってくれました」。母親は、安価であろうプラスチック製の野菜の皮むき器を涙ながらに見せてくれた。
当時、中国は経済成長の途上。国内総生産(GDP)は日本の半分以下だった。「日本はアルバイトで生活費を稼ぐことができ、仕送りもできる」。現地には、こんな幻想を振りまく仲介業者もいた。若者3人にとって日本は「夢の国」だった。
現実はそれほど甘くない。次第に金に困るようになり、窃盗、強盗と犯行をエスカレートさせ、「ベンツのある一軒家」というだけで被害者一家を襲った。
「死刑になることで少しでも遺族の慰めになるのであれば、そういう判決をもらいたい」。魏死刑囚は法廷で後悔を口にした。来日した父親が証人として出廷した際、いすから崩れ落ちた。そうした場面を除くと、総じて感情を失ったかのように無表情だった。
なぜ転落してしまったのか。拘置所で接見を重ねた弁護士によると「彼は犯した罪を素直に受け止めている様子だったが、多くは語らなかった」という。
死刑が確定して8年余。豊かさを享受する母国の今を知らぬまま、かつての若者は異国で40歳になり、執行の日を迎えた。なぜ−という問いは、彼自身の問いであったかもしれない。 (相本康一)
12/27(金) 11:19配信 西日本新聞
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47名無しさん@1周年2019/12/27(金) 15:12:19.83ID:+8EtL1Hr0
地味に除夜の鐘をきいて、煩悩を落とし、めでたく新年を迎えましょう
そういう地味な習慣が、我々を悪い心から救ってくださる事もあるんじゃないかしらね